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執筆者の写真TOMO

四国山岳霊場9選/修行の旅3

讃岐の霊場。「雲辺寺」は、四国八十八ヶ所中、一番高い標高にある山岳霊場である。長い坂を歩き、境目トンネルを抜けて、登山道のような山道を登ってゆくと、高原のように開けた山の林道と交わる。更に巨木の立ち並ぶ森を歩いて雲辺寺山にたどり着く。

御詠歌に「はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る」とある。空海が十六歳の時、この霊山に心を打た

れ堂を立てたのが始まりだと言われている。その後も空海は何度かこの山で修行されている。山門の方から登ると広い境内に大師堂があり、少し離れて本堂がある。本尊は「千手観世音菩薩」。山頂には大きな毘沙門天(びしゃもんてん/武神)の像が建っている。山頂付近はなだらかな公園になっており、美しい瀬戸内海と沿岸の平野が一望できる。

参拝を終え、その日は離れの宿坊に泊めてもらうことができた。南の窓からは四国の山々が見渡せる心安らぐ部屋だった。宿泊客はただ一人。深山の静かな霊気の中、畳の上に座り山々を眺め、夜になると星々をあおぎ、心行くまで瞑想の境に浸っていた。

翌朝は遅く目が覚め、本堂に行くと、住職さんが団体遍路の方々に説法をされていた。

「観光とは、光を観ることです。霊場の境内に入り、一歩をしるす、足跡を残す、…それが旅なのです―。」 

(車で霊場近くまで行くことができます。現在では、ロープウェイが開通し一気に頂上付近まで行けるようになりました。全長2,600m、太龍寺ロープウェイに次ぐ長さ。山頂公園は、冬季スキー場となります。)


四国八十八ヶ所最後の巡礼地、「結願(けちがん)」の霊場。「大窪寺」は、二つの「女体山(標高774mと761m)」に囲まれた窪地に建てられている。ちなみに774年は空海が誕生した年である。山道を登って行く女体山越の道と一般道路に沿ってゆくルートがあり、一般道路沿いの遍路道の方に多くの遺跡が点在している。

道路沿いの道を標識に沿って登って行くと、大きな山門が見えてくる。門前茶屋がある方の石段を登って行くと、真正面に本堂があり、後ろには「胎蔵ヶ峰(たいぞうがみね)」と呼ばれる霊山がそびえている。境内には大きな銀杏の木がそびえ、手前では五大明王が迎えてくれる。

本堂の拝殿は母の胎への入出口、その奥にある奥殿(多宝塔)は子宮にたとえられる。二つの女体山の間の空間から万物生成の精妙なエネルギーが生じ、その気が奥殿に注がれて充満しているようである。奥殿は色鮮やかなホトケたちに囲まれた円柱の立体曼荼羅となっており、中央正面に医術の王「薬師如来(瑠璃光如来)」が祀られてある。「薬師如来」の手には、薬壺ではなく水晶の法螺貝を持たれ、煩悩や病を吹き祓うのだと言う。

大師堂は少し離れてあり、八十八ヶ所のお砂踏みができるようになっている。大師堂に向かって左に空海像、右には大きな錫杖がそびえ、胎蔵界大日如来が彫られている。錫杖の下の透明な部屋には、結願されたお遍路さんたちの金剛杖が山のように奉納されている。

その横に女体山を越えて来る遍路道があって、登って行くと、途中に「胎蔵ヶ峰奥の院」がある。

山林の中、少し開けた窪地で断崖に祠が建っている。空海はこの地で、中国の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から授かった「三国伝来(インド・中国・日本)の錫杖」を持たれ、一心に何かを「祈願」されていた!?。その秘密が結願の地・女体山「大窪寺」に秘められているように思えてならない。真言密教は、古代インドのヴェーダやヨーガに仏陀の教えが融合して、チベットを経、中国を経て、そして空海によって日本に伝わって来た。

巡礼の長い長い旅の最後に、遍路は女体山に抱かれて万物の母の胎内に還る。(胎蔵界曼荼羅/たいぞうかいまんだら) 巡礼者は母なる聖霊に包まれ、全く純粋な魂となって、再び生まれ変わりを遂げる。四国遍路が「よみがえりの旅」と言われる一由縁である。

(四国そのものを胎蔵界曼荼羅として観る説もあります。結願の道の途中、道の駅ながお近くにある「おへんろ交流サロン」に寄ると、四国遍路についての情報がたくさんあります。本尊・薬師如来像は秘仏とされ通常拝観はできません。四国遍路開創1,200年記念の2,014年に御開帳があって拝観することができましたが、奥殿の美しい波動も相まって崇高な輝きを感じました。二つの女体山へは、霊場前の道路を少し東に向かってゆき、左側にある林道を上がってゆくと各頂上に登ることができます。結願を終えた遍路は、最後に高野山に詣でます。)

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<四国霊場88ヶ所+別格20ヶ所=108霊場を巡る旅>



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