高野山・奥の院は静謐の聖地、今もなお、空海が禅定を続けていると信じられている。
昔、普通では考えられない光景に出会った。深夜の奥の院、さい銭箱の上に登り、仁王立ちになって祈祷している行者がいた。その人は、空海の庵に向かって、激しく印を切っては大声で呪文を叫んでいた。破天荒な修験者であった。
ある日、奥の院の縁台のはずれに、一人の少女が座り込んでいるのを見た。うなだれた様子で、気になって声をかけようかと思っていると、僧侶の方が歩み寄って話しかけられた。何か理由があったようだ。その子は靴を履いておらず、裸足のまま、高野の町をさまよい歩いていたのだった。
以前、雪の積もった冬だった。明けやらぬ早朝、友人と奥の院の土間に正座して、般若心経を唱えていた。空海大師を想い、数珠を繰りながら108回唱え続けた。唱え終る頃、山は明るくなり、キリッとした霊気に杉木立が輝き、何かが変わっていくように想えた。
高野山には数多くの思い出がある。
全国各地から、大勢の人々が高野山・奥の院を訪れる。様々な祈り抱いて、祈りが叶うことを願って、また心の癒しを求め、また生きる道を探して…。大木がそびえ立つ、静かな参道を歩くだけでも心が浄化されていく。四国八十八ヶ所を巡礼し、結願を終えた遍路は、最後に高野山・奥の院に参拝して、ありがたき最後の御朱印を頂く。(写真)
高野山には、山深く人通りのない山中に「真別所」という修行専門の寺(円通律寺)がある。一般人は立ち入り禁止となっている。真言密教の事相(実践的な修法)を修行し伝授する道場であるらしい。その「真別所」で密教修行の指導に当たられていた、三井英光師(故人)にお会いしたことがあった。師は「入定留身(大師の生涯)」や「加持祈祷の原理と実修」など、著書も多く執筆されている。密教は奥深く、僧侶にならなければ修得することは難しい。
師は晩年、愛媛県のある寺で静かに暮らされていた。訪問すると、密教の話を色々と聞かせてくれた。密教は、すべての生命の根源である大日如来(宇宙大霊)と一体となって生きる教えである。そう生きるために、行者は様々な修行を行う。師は、一般人にもできるという「護身法」を教えてくれた。「ただ一法でよい、一心に行じれば如来に通じる。護身法は、手に印を結び、口に真言をとなえ、意その三昧に入って、全身全霊をもって神秘実在を体験しようとする修法である。この秘法を行じることによって、直ぐに<大安心>に住することができるようになる…。」(詳しくは、師の著書参照)
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