1960~70年代、西洋では物質主義や利己主義が蔓延し、腐敗した権力構造と戦争経済が旺盛していた。そんな社会に愛想を尽かし、新天地を求めてヒッピー・ビートニクたちは旅に出た。彼らは自由と愛と平和を求めていた。そして、東洋の神秘的なサドゥー、インドのグルやサニヤシンたちと出会う―。
その頃、インドには人間の魂の原風景が見られると言われていた。ガンジス河のガートでは、聖なる沐浴をするその傍らで死体が火葬にふされ遺骨が河に流されている。約二千五百年前、シッダールタ王子は、人間が「生・老・病・死」という苦しみにさいなまれている姿を見て修行の旅に出た。そして、苦行の末、それら苦しみから脱する悟りを開き「ブッダ」となられた。
インドには、ブッダの教えと、それ以前から伝承されていた「ヴェーダ」や「ウパニシャッド」、その後の「バガヴァッドギーター」や「ヨーガスートラ」等、現在においても霊感を彷彿させてくれる聖典群がある。近代のインドには魅力的な先人が多く存在した…ラーマクリシュナ、ヴィヴェカーナンダ、タゴール、ガンジー、オーロビンド、ラマナマハリシ、ヨガナンダ、クリシュナムルティ、バグワンラジニーシ、マヘッシヨーギ、サイババ、伝説のババジ…、現在でも一般には知られない聖者や行者が多く存在していると思われる。
そんなインドに、20代の頃からあこがれていた。当時インドに行きたくてもお金がなかった私は四国遍路の旅に出た。自由自在に生きるサドゥーのような旅がしたかった。初めての遍路の旅で、バグワンの「存在の詩(マハムドラーの詩)」を口ずさみながら歩いたものだ。マハムドラーは、ブッダの境地へ至るチベット密教の一行法である。「存在の詩」は、人間を大自然に開放してくれる詩だ。今でも、自由な風を感じてしまう。
先日、そのバグワン・シュリ・ラジニーシに関したドキュメンタリー映画「ワイルド・ワイルド・カントリー」(6部構成)というネット配信映画(Netflix)があることを知った。バグワンのインドプーナ時代よりも、80年代初期の米オレゴン州でのサニヤシン達の新しいコミュニティづくり~プーラム建設時代が中心に描かれていた。興味深い映像シーンばかりで一気に見てしまった。当時、その動きはうすうす聞いていたのだが、記録映像はよりリアルにその頃の出来事を感じさせてくれる。地元住民や国家システムとのあつれきがあり異端視されがちであるが、当時の時代背景やメディテーションの意義説明がもう少しあればと思った。バグワンの教説は一時「愛と瞑想の道」とも言われていた。プーラムは失敗に終わったようだが、その精神やムーブメントは現在も進行形であるように思う。インドに帰ったバグワン(OSHO)は、死の間際に「私のここでの臨在はこれから何倍にも大きくなるだろう…」と語っていたという。OSHOのHPを見れば、インドでのその様子が感じられる。今世紀、戦争が起ころうと天変地異があろうと宇宙時代が開闢しようとも、一瞬一瞬を生きる、存在の詩は究極の旅を歌っている。2018.12.7
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