空海入定の地・高野山を守護している女神が存在する。今回はその「ニウツヒメ(丹生都比売)神社」に参拝してから、高野山に登ることにした。
午前2時45分徳島港から南海フェリーに乗船、午前5時頃和歌山港に到着。近くの24時間レストランで休憩、朝食をとった後、ニウツヒメ神社に向かった。
高野口から天野(あまの)盆地に入ると、なだらかな山里の風景が広がる。「天野」という名称は神々の集う「高天原」を模したのであろうか。それに地図を見ると高野山の周辺には「丹生(ニウ)という名のつく地名や神社が複数ある。「丹生」とは鉱石の朱砂から取れる「朱」が産出される地を意味するらしい。
午前8時すぎ、ニウツヒメ神社に到着。朱色の鳥居をくぐって珍しい輪橋を渡ると、美しい楼門が見えてくる。その奥に4つの社殿があって、各神霊が祀られてある(御神徳/丹生都比売神社御由緒より)。空海を高野山に導いたのは、ニウツヒメの御子・高野明神で、白黒2匹の犬を連れた狩場明神として伝えられている。
ニウツヒメ神社の創建は1700年以上も前とのこと。境内横の小川を挟んで大峯修験者の碑(1300年代)や光明真言の碑(1662年)がある。ここでは神仏が融合している。帰り際、雨が強くなってきた。微妙にやさしい優雅な声…一切のものを守り育てる女神ニウツヒメがささやいているように聞こえた。美しい波動を体現したようだった。
そこからちょっと寄り道―、花園村にある恐竜ランド・極楽洞に寄った後,高野山に向かった。
高野山には昼頃到着。大門は霧の中だった。そこで杖をついた巡拝者に出会った。麓から参詣道(町石道)を登って来たという。今でも、歩いて高野山に登る人もいるのだなあ、と感心した。
それにしても、海外からの旅人が多い…。
山内には寺院が117、その内51寺が宿坊を兼ねている。今回は、少し条件を言って高野山宿坊協会にお任せしたところ「宝善院」を紹介してくれた。そこはなんと「丹生一族」ゆかりの寺で、奥之院の入口を護っているかのような寺院だった。高野山で一番古い庭園があって、昔ながらの宿坊という感じがした。一時、住職さんと話をする中で、宿坊の経営も大変だなあと感じた。
今年は弘法大師空海ご誕生1250年の年-。 標高千m近く、聖地高野山の夜は、日常を離れて霊域の中に心を休ませ、静かで安らかな時に身を横たえるようだ。
翌日、早朝5時に起床、一の橋から空海が入定されている奥の院へは約2㎞。
まだ明けやらぬ中、参道の両脇には杉の大木がそびえ、無数の供養塔や墓標が薄闇に浮かぶ。霊気漂う参道を歩いてゆく。
宿坊でも朝の勤行はあるけれど、もっと間近に大師の存在を感じてみたく、毎朝6時から行われる奥之院での勤行に参加した。
大師御廟の御前、燈籠堂の中に僧侶の厳かな読経が響く。その中で唱えられる理趣経は「大楽と空」の教えで、「一切の法は清浄なり」という句の一つに「(男女交合)の妙なる恍惚感も、清浄なる菩薩の境地である」という句がある。
燈籠堂での勤行(ごんぎょう)には10名ほど一般参加されていた。となりに座っていた方は、ずっと合掌したままで、祈り続けられていた。(約1時間)
勤行が終わる頃、外は明るくなっていた。まるで別世界にいたような感じで、幽玄な風に揺られていた。大師と共に深山を護る精妙なニウツヒメの舞いも秘かに伝わってくるようなひと時であった。
来た道を帰り、一の橋に戻った瞬間、アラレが降ってきた。やがて雪となって、寺院の屋根や山々に積もりはじめた。
天の声、地の声…すべてが宇宙の根源・大日如来のはたらき…。朝食後、宿坊を出て、今度は中の橋から奥之院へ参拝することにした。
紅葉も過ぎて、11月中旬、降りしきる雪の中、杉木立も参道も周りの景色もすべてが美しく見えた。奥之院では先祖供養の燈明を申し込んだ。
雪はだんだん激しくなってきた。
最後に、吹雪の中の「根本大塔」と「御影堂」を撮影した後、なごりを惜しみながら高野山を後にした。
やっぱり旅はいいなあ。これからも機会があれば、聖地巡礼に出かけたい。2023.11
(桃色は資料、青字にはlinkがあります)
※2日間の旅を収録した動画「霊峰高野山JapaneseShambhala」(YOUTUBE)をお楽しみください。
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