四国遍路-それは死出の旅
旅人は自然に還り、蘇りの旅をゆく
◌空海と密教・遍路を知る

●1~40
●41~84
●85~100
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◌紀行備忘録「遍路風」


「四国遍路」とは通常、四国八十八ヶ所の霊場を巡礼することをいい、その巡礼者は「お遍路さん」と呼ばれ、四国に住む人々には古来より親しまれています。元来、四国生まれの空海大師(774年~835年)が、祈り歩き修行した道であり、庶民の救済や霊験が出現した地に寺院や霊跡の碑等が造られ、その霊場を結ぶ巡礼のルートが「遍路道」として伝承されて来ています。
古来「遍路道」は、密教行者の祈りと修行の道であり、人生に苦悩する人々が大師の救いを願い「命がけ」で巡礼した道、また病や貧困等で社会からドロップアウトした放浪者たちの「死出の旅」の道であったと言われています。
当書「遍路風」は、1980年初期、筆者が「死出の旅」として歩き遍路に出かけ、その後山岳修験を経て、再び自転車遍路を決行した体験をまとめた手記で、四国を密厳浄土として祈り出そうとする行者の教えや巡礼者たちとの出会いを備忘録として編纂したものです。(個人愛蔵版) *目次
◌「人生は遍路なり」

空海が高野山に入定されてから、1150年の御遠忌の年―
(1984年)弘法大師・空海の生涯を描いた映画「空海」が全国各地で上映されました。パンフレット(東映株式会社)の一部を掲載します。⇒ここをクリック!!
同年、近くの映画館で、空海の映画を2回、深夜過ぎまで見ました。その便で明け方、石鎚山の禊の滝に行き滝行をしました。
そして数日後、自転車で四国八十八ヶ所巡礼の旅に出たのです。途中、四国を離れ、高野山、大峰山、吉野山をも巡り、21日間の旅でした。
当時、四国の各霊場では「人生は遍路なり」というしおりが配布されていました。祈念後、御姿とともに一寺一寺いただいて来ました。(四国八十八ヶ所霊場会発行)
各霊場のメッセージを見ることができます。下記項目をクリックしてください。(●PDF8ヶ寺毎に表示しています)
<人生は遍路なり 1984年>
●1霊山寺 2極楽寺 3金泉寺 4大日寺 5地蔵寺 6安楽寺 7十楽寺 8熊谷寺
●9法輪寺 10切幡寺 11藤井寺 12焼山寺 13大日寺 14常楽寺 15国分寺 16観音寺
●17井戸寺 18恩山寺 19立江寺 20鶴林寺 21太龍寺 22平等寺 23薬王寺 24最御崎寺
●25津照寺 26金剛頂寺 27神峯寺 28大日寺 29国分寺 30善楽寺 31竹林寺 32禅師峰寺
●33雪蹊寺 34種間寺 35清滝寺 36青龍寺 37岩本寺 38金剛福寺 39延光寺 40観自在寺
●41龍光寺 42仏木寺 43明石寺 44大宝寺 45岩屋寺 46浄瑠璃寺 47八坂寺 48西林寺
●49浄土寺 50繁多寺 51石手寺 52太山寺 53円明寺 54延命寺 55南光坊 56泰山寺
●57栄福寺 58仙遊寺 59国分寺 60横峰寺 61香園寺 62宝寿寺 63吉祥寺 64前神寺
●65三角寺 66雲辺寺 67大興寺 68神恵院 69観音寺 70本山寺 71弥谷寺 72曼荼羅寺
●73出釈迦寺 74甲山寺 75善通寺 76金倉寺 77道隆寺 78郷照寺 79天皇寺 80國分寺
●81白峰寺 82根香寺 83一宮寺 84屋島寺 85八栗寺 86志度寺 87長尾寺 88大窪寺
●空海の教え
秘密曼荼羅十住心論
・即身成仏義
・声字実相義
・般若心経秘鍵
・秘密三昧耶仏戒儀
・念持真言理観啓白文
・三教指帰
・遍照発揮性霊集
・大毘盧遮那成仏神変加持経
…等からの抜粋
●真言密教の行法 (一部の概要)
・胎蔵界妙成就法
・金剛界キャカラバア
・五相成身観
・十波羅蜜道
・護摩供養法
…
●四国遍路を巡礼した修行者や詩人たちの言葉……四国遍路の密意や道指南等
眞念、芭蕉、一遍、山頭火、他
●四国八十八ヶ所霊場の寺院名、御本尊、御詠歌
*四国88ヶ所霊場については『四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ』に、遍路の由来、歴史、巡礼の心得、参拝方法、読経、納経、遍路用品、各霊場の情報など、詳しく紹介されています。御朱印帳、御本尊の掛軸や額は守護にもなります。
*四国88ヶ所と別格20ヶ所霊場を合わせての巡礼は、108煩悩消滅の旅と云われています。『四国別格二十霊場公式サイト』で詳しく知ることができます。20ヶ所各霊場で念誦珠をいただくと〈二十寺念誦〉をつくることができます。
*不動明王の霊地を巡る『四国三十六不動霊場』、山岳霊場を体感できる島遍路『小豆島八十八ヶ所霊場』もあります。
*現代の歩き遍路には、GPSやネット配信を活用したサイトやガイドブックが多数ありますが、へんろみち保存協力会が編集している地図「四国遍路ひとり歩き同行二人/2分冊」が便利です。空海が修行された地、番外や奥の院も載っています。
また、最古の遍路ガイド本といわれる眞念法師の「四國遍禮道指南(1687年刊)」と合わせて見るのも興味深いことです。
💿「悠久遍路」によせて

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四国を一巡する巡礼遍路は、
○発心(ほっしん/阿波/徳島県23霊場)
○修行(しゅぎょう/土佐/高知県16霊場)
○菩提(ぼだい/伊予/愛媛県26霊場)
○涅槃(ねはん/讃岐/香川県23霊場)
の道場を巡る。
遍路がいだく祈願は、八十八ヶ所の霊場を巡ることによ
って、成就実現されると伝えられている。
全長約1,200㎞とも1,400㎞ともいわれ、歩いて約42日前後の旅である。「(自転車で約16日、車で約8日)
1.悠久遍路
四国路には絶えず、巡礼者の祈りと鈴の音が響いている。悠久の風のように流れ続けている。人の一生には生・老・病・死の苦しみがあり、それを思いやる親しい人たちの慈しみや悲しみが絶えない。旅人たちは四国の自然の中を、聖地霊場に参拝し、空と海の辺地を祈り歩く。遍路を行ずることによって、苦しみの原因といわれる無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)の闇は消え去り、人間本来の清らかな
魂(蓮華)が花開いていくのだという。旅人はやがて、光の道に目覚め、安住の地…密厳浄土(ホトケの国/ヒトにとっては理想郷)を知るのだと伝説は云う。

第1番 霊山寺
2.いろは
第一番札所・霊山寺で旅人は死装束(しにしょうぞく)となる。遍路道はいったん西方に進み、第十番切幡寺で折り返し、四国第2の高峰剣山を回るように続く。遍路道には美しい四国の自然が広がる。道中で様々なお遍路さんと出会う。霊場では般若心経を唱え、祈る。野宿をすると不思議なことがある。地元の人から食物やお金のお接待を受ける。大師や遍路たちの伝説話を聞く。遍路の始祖・空海大師はブッダの悟りを、わかりやすく「いろは歌」として伝えられている。
いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを/諸行無常)
わかよたれそつねならむ (わが世誰ぞ常ならむ/諸法無我)
ういのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて/一切皆空)
あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢見じ酔ひもせず/涅槃寂静)

室戸岬への道
3.風の果てまで
阿波の霊場を巡り終え、土佐・最御崎寺(ほつみさきじ)へは、太平洋沿いに延々と続く海岸線を歩く。2日間、空と海を見ながら歩く旅である。響き続ける波の音…、まるで原初の地球に来て歩いているようである。そこに在るのは、空と海という大宇宙とたった一人の旅人。素っ裸で、何も持たず、大宇宙に放り出される。遍路は、捨てて歩け!とよく云われて来た。遠のいてゆく記憶…思わず叫びたくなるような時がある…まるで狂ったかのように歌う、空が笑えば…海が笑えば…、この風の果てに何があるのか…。空海大師は、阿波太竜ヶ嶽で修行したのち、この海岸線を歩き室戸岬にある洞窟・御蔵洞(みくろど)に至り、そこで悟りを開いたと伝えられている。室戸は「明星来影」という伝説の地である。

太平洋
4.雲海
四国第1の霊峰・石鎚山系から流れ出す仁淀川―。南国の平野を緩やかにくだり太平洋へと注ぐ美しい大河である。河を渡り、山辺の清滝寺から海辺の青龍寺へと向かう途中に宇佐大橋がかかっている。ちょうどその橋のど真ん中でその出来事は起きた。太平洋の海と空を背に、その人はやって来た。手押し車に荷物を積み、頭に白い鉢巻きを締め、色あせた白衣に数珠と大きな鈴が揺れている、いかにも行者か世捨人といった風貌である。その人は「雲海」と名乗った。彼の声と足取りはまるで、人間の限界を超えて来たような風狂さがあった。しばらく立ちどまり、少し話をした。忘れることができない瞬間であった。彼は、逆打ち―88番から1番へ逆に巡礼すること―の道を歩いていた。…それから数年後、偶然にも雲海さんのことが地元新聞紙に載っていたのを見た。小児麻痺という障がいを負いながらも、四国八十八ヶ所巡拝100回を目指し、托鉢(たくはっ)・野宿をしながら歩いているという…その時は、58回目との記事であった。…あの時、別れ際に彼は言われた「高野山で会おう…」。

四万十川
5.四万十川
太平洋に面した久礼の漁村から長く続く久礼坂を越えて、幻の香米の産地…窪川町に着く。その町中にある岩本寺から、次の足摺岬・金剛福寺までは、3日はかかる旅程である。途中、日本最後の清流と呼ばれる四万十川を渡る。この歌は、四万十川の流れを瞑想し、川のほとりで一夜を過ごす旅の歌である。水は、人々の暮らしにとってなくてはならない尊い存在である。四万十川が清流と呼ばれるのは、深い緑の山々から海に流れるまで、豊かな自然がそのままにあり、里山に暮らす人たちの生活が自然を尊び、自然と共にあるからではないだろうか。四万十一帯は、地上の楽園を彷彿させる。川の流れを見ながら旅人は、まるで解き放たれたかのように自由自在に自問自答する…。悠々と流れる清流は多くの命を育み、その流れを様々に楽しんでいるようだ。その流れも海に向かって流れ、やがて大海と一つとなる日が来る。

足摺岬
6.補陀落迦
四万十市を過ぎ、新伊豆田トンネルを出たところに「真念庵」がある。真念法師は江戸時代、四国八十八ヶ所を数十回巡り、遍路道に道標を設置したり、四国遍路のガイドマップを作成した四国遍路の大先達である。遍路道は四国最南端へと続く。足摺岬…断崖絶壁の向こうには空と海があるだけ―。まさに最果ての地にたどり着いたという風光、ビロードのような南風が吹いている。補陀落迦とは梵語のポータラカ(観音菩薩の聖地)、金剛福寺がその聖域である。またこの岬から海の向こうにあるという極楽浄土を目指し、舟で旅立った人々もいるという(補陀落渡海/ふだらくとかい)。岬の断崖に一人坐し、ここから身を投げた人の最期の想いや、憧れの聖地を目指し旅立っていった人たちの願いを思っていた。そして同じようにこの岬で、旅人は死線をただよい、何とも言いようのない不思議な黄泉(よみ)がえりを知った。2日目の宿…というのはその忘れられない体験からである。(本作品中、補陀落迦の<補>が<捕>になっている個所があるが一般的には<補>が使われている)

古岩屋
7.無空
空海はかつて四国の山野を巡錫するとき「無空」と名乗っていた時期があったという。遍路が霊場で唱える経典の一つに般若心経がある。般若心経は、ブッダの悟りの内容を凝縮した智恵の聖典と言われ、「無」の教え「空」の教えを説いている。四国遍路を無一文からはじめ、托鉢をしながら歩いている年配の僧侶らしきフーテン風の行者と出会い、しばらく一緒に歩いていた。現代社会は豊かになったと言われているが、まだまだ悲惨な状況がある…、紛争や病、貧困に苦しむ人々もいて、自殺者も絶えない。一方では、権力と富を一人占めするような人がいたり豪華で裕福な生活をおくっている人々もいる。行者は言っていた、何でも「金」の世の中になってしまった…現代の人間は本当の「心」を忘れてしまっている…。峠近くの木陰で遍路道に座り、眼前に広がる山々を眺めながら、空海大師や行者たちが祈り歩いて行ったその後姿を思い浮かべていた。

星が森から石鎚山遠望
8.キャカラバア
キャ・カ・ラ・バ・アとは、森羅万象を構成する基本的な要素、空・風・火・水・地のことをいう。霊場や墓地に建立される五輪塔に刻まれる梵語(サンスクリット語)である。遍路が持つ金剛杖にも刻まれている。巡礼遍路が道の途中で行き倒れたとき、近くの村人たちがその人を埋葬し、その遍路が持っていた金剛杖を墓標として建てるのだという伝承がある。自然の一部である人間も自然から生まれて自然に還る―。キャカラバアは、天地宇宙で遍く活動している生きる言葉である。弘法大師空海1150年御恩忌の年に映画「空海」が全国放映された。その中で、空海一行を載せ中国に向かう遣唐使船が嵐に会う場面がある。難破しそうな船の中で人々がパニックとなって祈っている中、空海が「そんなことで天が動いてくれるか」と、荒れ狂う嵐に向かって「キャカラバア」と連呼し叫ぶのであった。その勇姿が忘れられない。船は無事、中国にたどり着いたのであった。

遍路道の石仏
9.風の祈り
人里離れた山深い遍路道に、小さな石仏がポツンと立っている。歩く旅人には、どこの誰かもわからない、誰が何故、どのようにして建てたのかもわからない。無縁仏なのか、石だけが積まれているのも見かける。四国の遍路道沿いには、そのような石仏が数多く点在している。1200年という永い年月の間、どれだけの旅人が遍路道を歩いて行っただろう。ある人は困難辛苦の末、八十八番までたどり着き満願成就され、ある者は道の途中で行き倒れたのかも知れない。遍路で行き倒れる者を迷惑者として批判する人もいるが、いずれその人自身もゆく道である。山林の静かな遍路道を一人歩いていると、道なかばで行き倒れた遍路たちの声なき声が聞こえて来る。それは、忌まわしい声ではなく、人として最後まで精一杯生きようとする悲願に思えてならない。

空と虹と鳥
10.野辺の聖霊
土佐の霊場を終え、伊予に入り一路北へと進み、やがて東方に向かってゆく。風光明媚な南予や山岳地帯を歩いて来た遍路は、穏やかな瀬戸内海に面した平野へと降りてゆく。山々の霊気が街中に流れてゆくのを体感する。遍路道からは、魂の原風景が見渡せる。自然の原野に人々が住み始め、街を創造し暮らしていく様が有難くもあり、また時に空しくさえも想えて来る。街中で不思議な老婆と出会った。とてつもない悲しみというか慈しみに全身が震えた。乳母車を押して老遍路が野辺をゆっくりと進んでゆくのを見た。仙遊寺から横峰寺へ向かう途上、どうしようもない自分がいた。単なる幻覚では済まされない、日常の常識を遥かに超えた、静かではあるが凄まじく美しい何かが起こっている。それは一瞬、また一瞬の事である。それは聖霊としか呼びようがなく、遍路道に小さな花々のように降り注いでいる、時に光のように駆けて行くのである。

善通寺五岳付近

捨身ケ岳
11.鈴の音の鳴る島へ
現代の四国遍路では、様々なスタイルや巡り方が行われている。歩き遍路が原点ではあるが、観光バス、タクシー、自家用車、バイク、自転車で巡る人。目的も信仰や修行・供養のためだけではなく、観光、健康づくり、生きる道を求めて巡る人。若い女性のひとり旅、外国から来た人、ホームレスの人、放浪者等、様々なお遍路さんが旅をしている。八十八ヶ所を何回かに分けて、また任意の順番で巡る人や1日遍路の人もいる。霊場会や保存を進められている方々のおかげで、遍路道も道標も整備され、コンビニやスマホ、各種のガイドブックも普及されて、巡りやすくなっている。しかし、今も遍路道は真実の自己を発見する修行の道であり、また生活困窮や不治の病・失業等で生き場を喪失した人たちの一拠り所ともなっている。霊場での癒しと共に、地域の人たちによるありがたいお接待が息づいている。ある遍路の放浪者は、全国で四国ほど親切にしてくれるところはない、お金がなくても食物には不自由しないと語っていた。反面、遍路狩りというおぞましい行為のあることも聞く。以前、ある山村で仙人と呼ばれている人を訪ねた時、瀬戸大橋が出来たら悪魔が四国に攻めてくる、四国の聖地が汚される、何とかせねば…と話されていた。そのように四国の山地には「四国を密厳浄土に―」と祈り活動している方々が少なからず存在している。八十八ヶ所霊場もその拠点であり、数多巡礼遍路の祈りもそうではないだろうか。四国は鈴の音の鳴る島である。御仏と慈悲深き人々が住んでいる。「人生は遍路なり」といわれている。遍き命の路のしあわせを祈り、今日も歩いてゆく人たちに、祝福を。

第88番 大窪寺
12.結願の道
遍路道は伊予から讃岐へ、八十八ヶ所中、一番高所に在る雲辺寺に登り、讃岐平野を巡り、最終第八十八番札所・大窪寺に至る。四国を一周し、行く先々で体験したことがその体に凝縮される。ある人にとっては忘れえぬ思い出と新たな希望が駆け巡り、ある人にとっては全くの「空」のままたどり着くのかもしれない。いずれにしても、最後に登る石段は感動深き道であり感無量のひとときである。母の山とは女体山・胎蔵ヶ峰で、そのふところに大窪寺は立っている。まるで、母の胎に入るような風水に恵まれた聖地である。ここで死出の遍路は、よみがえりをとげることになる。四国霊場開創1200年の年(2014年)に御本尊の御開帳があった。伽藍のさらに奥まった奥殿に案内されると、そこは色鮮やかな色彩の如来・菩薩が丸い壁面の上部をぐるりと取り巻き曼荼羅の世界のようになっている。正面・中央の座に医術の王と呼ばれる薬師如来(瑠璃光如来)がこちらを見据えて坐している。等身大以上と想われるが、何とも美しい威厳のある御姿である。右手の掌を正面に向け、左手には水晶の法螺貝を持ち災厄を吹き払うのだという。伽藍を出て、境内の大銀杏の樹を見上げる。巡礼遍路の想いは四国路の空と海を舞うようだ。そこに奥深く湧き上がってくるような歌があった。「命遍く照らせ!、祈り遍く生かせ!、旅は自由な君の旅…、光の歌が流れている―」。無事八十八ヶ所を巡り終えた遍路は、最後に高野山・奥の院に参拝し、一つの大きな旅を終える。
<人はなぜ生きるのか>
…ある遍路のエピローグ

20代の初期、四国遍路へ死出の旅に出かけた。そして死にぞこないの遍路となった。その後、遍路で出会った、土佐の山奥で山籠もり修行をしている古神道の師を訪ねつつ、石鎚山や剣山で山岳修験道に身を投じていた。
弘法大師空海1150年御恩忌の年、今度は自転車で再度、四国遍路の旅に出た。その時は、第12番焼山寺から一路フェリーで和歌山へ渡り、高野山に参拝した。御恩忌ともあり、高野山への長い坂道は大型バスやマイカーで大渋滞していた。その中を自転車の方が早いかのように高野山に到着した。奥の院に詣で宿坊に宿泊した朝、更に紀伊山地の奥へと向かう。
天河大辨天神社に参拝、洞川に泊まって、修験道発祥の霊峰・大峰山に登った。早春の白雪に埋まった山上ヶ岳は天空の世界のようだった。蒼天に映える美しい八経ヶ岳の雄峰・奥駆道―。…それから吉野山の蔵王堂に詣でて野宿、再び四国に戻って遍路の旅を続けた。
「道路に死なん、これ天の命なり…、月日は百代の過客にして、ゆきかう年もまた旅人なり…」当時は芭蕉のような心境か、旅先でどうなってもいいと想っていた。が、八十八ヶ所すべての霊場を巡り終え、生まれ故郷に帰りついてしまった。
「悠久遍路」は、その頃の旅情や出来事を綴った楽曲の一部です。その後、福祉関係の仕事に就くのですが、困難な状況にある中で精いっぱい生きている人々と接するたびに、遍路の祈りがこみ上げていました。聖者・空海が祈り歩いた遍路道は、本来、道なき道でありました。その祈りは何であったのか―、そして今は……。わずか1日でもいいので、四国遍路の旅に触れてみてください。合掌。
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◌山岳修験之道---起死回生・Meditation movie
◌遍路の祈り----蘇生- Travel Resurrection
◌復活の炎----虐げられた者たちが立ち上がるとき