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念彼観音力


時々、仏間でお経を唱えている。

昔、ヒマラヤ山脈のふもと、シッダールタ王子は宮殿を出て世間のありさまを観た。人々が「生・老・病・死」という苦しみにさいなまれている現実を見て、心を痛め、修行の旅に出られた。そして厳しい修行の果て「悟り」を開かれ「ブッダ(覚者)」となられた。

よく人は、四苦八苦するという。ブッダはそれら苦しみを超越する道を説かれている。

八つの苦しみとは…

  一 生苦   生きる苦しみ

  二 老苦   老いる苦しみ

  三 病苦   病める苦しみ

  四 死苦   死ぬる苦しみ

  五 愛別離苦(あいべつりく)  愛するものと別れ離れる苦しみ

六 怨憎会苦(おんぞうえく)  怨み憎しむものと出会う苦しみ

  七 求不得苦(ぐふとくく)   いくら求めても得られない苦しみ

  八 五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(色受想行識)の要素が盛られる苦しみ


よく知られている「般若心経(プラジュニャ・パーラミター)」は、これらの苦しみを除くお経の一つである。あるお遍路さんは「般若心経」を、霊場の気を一気に下丹田に吸って「一息」で唱えることが内外共に効力を発揮するのだ…と言っていた。練習によってそう唱える事が出来るようになる。三回唱えると、過去は癒され、現在はクリアに、未来が開運される。また、陰と陽が調和し創造力が働くようになる。七回唱えるときは、下部から順に七つの霊的中枢(チャクラ)に集中して響かせてゆくようにすると心身が活性化する。


しかし「観音さま」として親しまれている菩薩の教え「観音経」は一息では唱えられない。「観音妙智力」が人々を様々な苦悩から救済するお経である。観世音菩薩の神通力がブッダによって力強く語られている。唱えることによって<念彼観音力(ねんぴ―かんのんりき)>を発揮するには相当の修行がいるようだ。 

* * * * * * *

無尽意という修行者がブッダに尋ねた。

「ホトケの子は何の因縁によって<観世音>と名づけられるのでありましょうか。」

世尊ブッダは答えられた。

「あなたは<観音>の行を聴きなさい。よく諸々の方角や場所に応じて、立てられた誓いの深いことは海のようである。長い長い時を経ても思議することはできない。幾千億のホトケに仕えて 大清浄の願いを起こしたのである。私はあなたの為に略して説こう。その名を聞き、その身を見て、心に念じて、空しく過ごさなかったら、よく存在の諸々の苦しみを滅するであろう。」


(仏陀は詠われた)

たとえ害意をおこす者があって、大いなる火の抗に突き落とされても、

かの<観音の力>を念じたならば、火の抗は変じて池となるであろう。

あるいは大海に漂流して、龍や魚や鬼などの難があっても、

かの<観音の力>を念じたならば、波浪もその人を沈めることはできない。

あるいはシュミセンの頂上から人に突き落とされても、

かの<観音の力>を念じたならば、太陽のように虚空にとどまるであろう。

あるいは悪人に逐われて金剛山から墜落しても、

かの<観音の力>を念じたならば、一本の毛さえも傷つけることはないであろう。

あるいは賊が取り囲んで、おのおの刀を揮って斬りつけても、

かの<観音の力>を念じたならば、ことごとく皆、慈悲心をおこすであろう。

あるいは王難の苦に遭うて、死刑に処せられ命が終わろうとするときに、

かの<観音の力>を念じたならば、刀は数段に折れるであろう。

あるいは手かせ足かせに縛られても、

かの<観音の力>を念じたならば、縛めは解けて解放されるであろう。

呪いや毒薬で殺されようとした者が、

かの<観音の力>を念じたならば、呪はかえって呪う者にとりつくであろう。

あるいは羅刹・毒龍・鬼などに出会っても、

かの<観音の力>を念じたならば、ことごとくあえて害したりはしないであろう。

あるいは鋭い牙や爪ある怖るべき悪獣に取り囲まれても、

かの<観音の力>を念じたならば、すみやかに四方に走り去るであろう。

燃える毒気を吐く蛇やまむしや蠍に囲まれても、

かの<観音の力>を念じたならば、その声につづいて自ら回り去るであろう。

雷鳴し稲妻が光り、雹が降り、豪雨が注いでも、

かの<観音の力>を念じたならば、即時に消散するであろう。


生ける者たちが困窮して無量の苦しみにせめられても、

<観音妙智の力>はよく世間の苦しみを救うであろう。 神通力を具え、広く智慧の方便を修めて、 十方のもろもろの国土に身を現わさぬところは一つもない。

種々のもろもろの悪しきところ、地獄、餓鬼、畜生の世界、

生老病死の苦しみは、次第にことごとく消滅するであろう。

真実の眼、清らかな眼、広大な智慧の眼よ、

悲の眼、慈の眼よ、常に願い、常に仰ぎ見るであろう。

汚れなき清らかな光よ、智慧の光はもろもろの闇を破り、

よく災いを征服する風と火は、あまねく明らかに世間を照らす。

悲を体とする戒は雷のように震い、慈のこころは大雲のごとくである。

甘露の法雨をそそぎ、煩悩の炎を消し除く。

訴訟して法廷で争い、軍陣の中で怖れているときにも、

かの<観音の力>を念じたならば、もろもろの怨敵はことごとく退散するであろう。

観世音は妙音であり、梵音であり、海潮の音であり、

世間のすべての音に勝れている。 それ故に、常に念ぜよ。

念ぜよ、念ぜよ、疑いを生じてはならぬ。 観世音浄らかな聖者は、苦悩と死と災厄の中にある者たちのよりどころとなった。

一切の功徳をそなえて、 慈の眼によって生ける者たちを見る。

福徳の海は無量である。それ故に足を額に頂いて礼拝せよ。

        (法華経観世音菩薩普門品第二十五より/意訳2020.10)

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