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執筆者の写真TOMO

風の馬ルンタ


中国チベットに憧れ始めたのは「ヒマラヤ聖者」やチベットに伝わる理想郷「シャンバラ」の伝説を知ってからである。同時期、あるチベット民芸展示会で畳4畳はあると思われる大きな「ボタラ宮殿」の織物を見たことがある。その美しい荘厳さに魅了されしばし見とれていた。


その宮殿は、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ法王の居城である。しかし、度重なる中国政府の圧政により、1959年3月10日首都ラサで動乱が発生、法王一行はインド(ダラムサラ)へ亡命された。そして、中国政府の文化大革命が始まり、チベットの民族文化や信仰生活が迫害され、多くの寺院が破壊されていった。80年代一時期復興の兆しがあったが、僧侶たちが平和的なデモをするたび、中国政府は武力で弾圧し、参加者を逮捕、拘束し、拷問まで行っているという。

 

同じような事態が1989年6月4日北京で起こった。天安門に民主化を求めて集結した学生たちのデモに、中国政府は戦車まで出動させて鎮圧にかかった。進行してくる戦車に正面から一人で向かい阻止しようとする若者の姿もあった。表情のない軍隊の若者と民主化を叫ぶ若者が争っている姿はやるせない。学生たちは命がけである。軍隊の若者たちは政府の命令にそむけば、その人生・生活が危うくなるのだろう。問題は、その後ろにいる権力者たち、上にいる支配者たちである。


20世紀末、チベットのラサでは「水手」という歌がよく街中に流れているという話を聞きその歌をよく聞いていた。中国軍による農奴解放(?)という行進曲ではなく、新しい天地を目指し仲間たちと共に旅をゆく希望の歌である。後に台湾の歌手、郑智化(チャン・チーホア)という方が歌っていることを知った。


2008年北京オリンピックの年、チベットの現状を世界に報道してもらおうとしたのか、再びラサで中国政府の政策に抗議する僧侶たちによる大規模デモが行われた。無暴力を根本とするデモである。これに中国政府は無差別発砲を行い、多くの死傷者が出た。中国政府は、民族暴動を鎮圧した、と行為を正当化しTV報道したという。 神聖な寺院に軍隊が武装して侵入してくる。熱心な祈りを唱える仏教徒たちが、軍人に棒でたたかれ何度も振り回されて足蹴にされて地面に転がる。手を後ろで縛られ、頭をつかまれて見せしめのように一列に並ばされる。そんな映像を見た。過去、何千人ものチベット人が中国の刑務所に政治犯(?)として収容され、更に非常極まりない拷問を受けているのである。


そんな頃、四国霊場のある寺院で行われた「チベットまつり」に参加していた時のことである。チベット紹介のフィルム上映や石濱先生の講演があった。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の方も見えていた。休憩時、会場にいた誰かが声をこらえるように叫んだ。「えらいこっちゃー、とんでもないことがはじまっている…。」チベットの情勢に詳しい人らしい。それは「焼身自殺(抗議)」が起こったということであった。後で調べて解って来た。


その頃(2009年)からチベットでは、祖国の自由と世界平和、ダライ・ラマ法王の祖国帰還を願って、中国政府の圧政に対して、自らの身に火をつけて燃やし訴える僧侶たちの姿が報道されていたのである。YOUTUBE動画にも流れている。しかも20代の若い僧侶や尼僧の方も…、チベット民族が暮らす広範囲の地域にわたり「焼身抗議」をする人が増えて来ていた。これは、人間として人類社会の出来事としてとんでもない惨事である。


仏教は智慧と慈悲の教え、生命を尊び人々を救済する道であり、僧侶は生きとし生ける者の幸せを祈り修行されている。自らの身を燃やして祈るということは、よっぽどのことである。中国は自然豊かでいい所であるはずなのに、中国政府の政治手法や権力構造、その人権感覚はどう考えてもおかしい。それに残酷極まる拷問の実体が明らかにされているものの、一向に認めもしないし、話し合いに応ずることもなくチベット民族の弾圧を続けているのである。度重なる「焼身抗議」について中国当局は「勝手に死ねば良い」と言い放ったとも言われている。


先日、息子が私の誕生日にDVDをプレゼントしてくれた。あけてビックリした。以前から気になっていた「ルンタ」というドキュメンタリー映画であった。「願いは風にのり、天空へ---非暴力の闘いに込められたチベット人の心を描く衝撃のドキュメンタリー!! (池谷薫監督作品)」。「ルンタとはチベット語で<風の馬>を意味し、天を翔け、人々の願いを仏や神々のもとに届けると信じられています。…」 


2015年3月現在チベットで「焼身抗議」をした人は141名にのぼるという。映画では1985年からダラムサラに移住しチベット亡命政府の建物建設やチベット人の支援、情報発信等を行っている中原氏が水先案内人となり、チベット問題を巡る旅に出る。デモに参加した青年や監獄で拷問を受けた老人や元尼僧との会話、「焼身抗議」が行われたチベット本土の現地取材も決行されている。デモの実写映像もあり、ヒマラヤ地方の美しい風光や仏教の教え、チベットの人々の祈りが随所にちりばめられている。


ルンタが描かれた五色の旗とこれまで「焼身抗議」をされた人々の写真を見上げて手を合わせる少年僧の姿がある。中原氏の生き方や活動にも感銘を受けた。これからどうしていったらいいのか考えさせられる映画であった。現在も、チベットで起きている悲惨な現実については、より多くの人が知らなければならないと思う。


政府の支配者層は狂っているかに見える。その利権に群がる官僚も企業もいやらしく見えて仕方ない。そのため、大多数の素朴で安寧を願う一般人が苦しい生活を強いられているのではないか。それでも、勇気ある人たちが、いろんな分野で力強い活動をされている。チベットの問題もいつか必ず解決していくはずだ。その日が来ることを祈る。「ルンタ」風の馬に想いを馳せ続けよう。 2019.2.22



誰でも人生でエネルギーや活力の「風」を経験している。

それはどこから来るわけでもないが、つねにそこに存在している。

それは基本的な善良さのエネルギーだ。


この自然に存在するエネルギーは、

シャンバラの教えのなかでは「風の馬(ルンタ)」と呼ばれている。

「風(ルン)」の原理が意味するのは、

基本的な善良さのエネルギーは力強く、活気にあふれ、輝かしいものだということだ。

それは人生のなかでとてつもないエネルギーを発散する。

だが、それだけではなく、基本的な善良さは乗ることができる。

それが「馬(タ)」の原理だ。

勇者の修行、とりわけ手放しの修行をすることで、

あなたは善良さの風を乗りこなすことができるようになる。


風の馬のエネルギーに触れると、あなたは自分の精神状態を心配しなくなり、

自然に気苦労を手放して、他人のことを考えることができるようになる。

だから風の馬を見いだすということは、

まず第一に、自分のなかにある基本的な善良さの力強さを知るということであり、

次に恐れることなくその境地を他人にも広めるということだ。

風の馬を経験した勇者は、何をするときも愛の喜びと悲しみを感じる。


ある知覚のなかに広大さが持つ力と深みを呼び込むと、

私たちは魔法を発見したり呼び覚ましたりすることができる。

魔法と言っても、現象界を支配する不自然な力のことではなくて、

あるがままの世界に内在する根元的な知恵を発見するということだ。

私たちが見いだすのは始まりのない智恵、自然な賢さ、宇宙的な鏡の智恵だ。


チベットでは、

存在のこの魔法のような質、自然な知恵を「ドラ(敵・対立者)ラ(上にいる)」と呼んでいる。「敵を超えている」ことを意味する。

秘密のドララを呼び覚ますことは、

風の馬(ルンタ)を生じさせ、喜びと活力の風を吹かせて、そのエネルギーに乗る、

または乗りこなすという経験だ。

 (チョギャム・トゥルンパ著「シャンバラ~勇者の道」より)


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