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  • 執筆者の写真TOMO

ほつまつたえ

日本の古史古伝に関心を持ち始めた頃、奈良にある「山の辺の道」を歩いたことがあった。天理市から桜井市にかけて、素朴で美しい自然の中を歩いて行く、のどかな古道である。小道の周辺には多くの古墳や遺跡、神社仏閣が点在し、いにしえの風が吹いている。

起点近くにある「石上(いそのかみ)神宮」は、日本で最も古い神社と言われ、有史以前の古神道の秘儀が伝承されているとのこと。途中、万葉集で有名な「大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)」をあおぎ、まほろばの里を想う。終点が近づくと、霊域「大神(おおみわ)神社」がある。三輪山をご神体とする日本古来の「祈り」が響いて来る。

それから「飛鳥」地域に行き、レンタサイクルで資料館や遺跡群を巡る。そこでは、ヤマト民族…遠い先祖方の質素で雅やかな暮らしぶりが見えてくる。旅の詩人・松尾芭蕉が生涯をかけて求めていた「風雅の誠」を感じさせる野辺がある。

そんなことを思い出しながら、ここ数日「秀真伝(ホツマツタヱ)」を読んでいた。ちょうど皇紀2682年・紀元節の日(建国記念日)、いくつかの文献から気になっていた「アヤ」を一覧にまとめてみることができた。


「ホツマツタヱ」は、古代大和ことばで綴られた「40アヤ(章)」からなる古代日本民族の叙事詩である。今から3000年以上も前(縄文時代)に編纂され、「古事記・日本書紀」の原型であったといわれている。

宇宙創成から古代人の暮らしや出来事、智恵や文化など、一字一音の表音文字で、48音(字)によって、格調高い5・7調で書かれている。(濁音はない) 永遠の繁栄・生命の讃歌といわれる「あ(天)わ(地)のうた」が載っている。(図参照)


大昔、日本民族の祖、イサナキ(男神・陽)とイサナミ(女神・陰)は、天御柱(アマノミハシラ)を巡り「ミトノマクハヒ(陰陽の交合)」を行った。二尊は「アナニヱヤ ウマシオトメニ アイヌトキ(イサナキ) … メカミコタエテ ワナニヤシ ウマシヲトコニ アヒキトソ(イサナミ)」と相歌い、国生みを行った。

日本は「言霊(ことだま)の幸(さち)はふ国」と呼ばれている。

人々の間で言葉が乱れ出した時、二尊は「アワノウタ」を創作された。天の光を受けて活霊が華開き「健康と繁栄」をもたらすという「むすびの言霊」である。

歌は楽器をもって、最初の24声(5・7・5・7)をイサナキが歌い、続く24声(5・7・5・7)をイサナミが歌い連ねた。

二尊は「アワノウタ」を教え、諸国を巡幸し、人々の乱れた言葉を直し調え、農業(五穀豊穣)を復活させていった。この歌を歌えば、自ずと音声も整い、社会の秩序が回復して、国が平和におさまっていったという。


「ホツマツタヱ」には、宇宙に展開する言霊の活動が描かれていて、自然の活動原理が歌われている。

「アマ(天)ツチ(地)ノ ヒラケルトキノ(開ける時の) ヒトイキカ(一息が) メ(陰)ヲ(陽)トワカレテ(分かれて) ヲ(陽)ハアメ(天)ニ メ(陰)ハツチ(地)トナル」

「アイウエオ(五母音は) ウツホ(空)カセ(風)ホ(火)ト ミツ(水)ハニ(埴)ノ マシワリナレル(交わり生れる) ミナカヌシ(御中主/真中の主)」


また、神代の物語の中に、古神道に関する記述が多くある。

太古の祝詞「トホカミヱヒタメ」、天つ神が授ける「トクサタカラ(十種宝)」、「ヒフミ」の祓い<ひふみよいむなやここのたり ふるへ(振るえ) ゆらゆらとふるへ かくなさは まかる(曲がる)たま(霊)も よみかえる(蘇る) /後に先代旧事本紀に伝わる詞> など…、これらの秘儀は「石上(いそのかみ)神宮」に伝承されているようである。

「ホツマツタヱ」では悪魔・邪霊を「ハタレ」と呼び、「トホカミヱヒタメ」や「アワノウタ」をもってそれらの障りを無くしたという物語がある。「ホツマ」とは、「和し、調えること」を意味している。ヤマト民族の霊性「和を以て貴しとなす(人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという聖徳太子の教え)」は、「ホツマツタヱ」に由来しているようだ。

科学技術や文明が発達したという現代社会においても、日本の「古史古伝」に学ぶところは多い。世界を見渡しても、日本人は自然を愛する豊かな心と高い霊性を備えている民族だと思う。そして、何かできることがあれば、共にたすけあい、人を楽しませる道を歩みたいと願っている。

和歌ひとつ「もろ人の 恩を遍く 感じつつ これぞ神とぞ きさらぎは言う」

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