伝承によると、弘法大師・空海(774~835年)は今もなお、高野山の奥の院で瞑想を続けている。空海の場合「入滅」ではなく「入定」と呼ばれ、高野山の大門の左右には「日々の影向(ようごう)を闕(か)かさず」「所々(しょしょ)の遺跡(ゆいせき)を検知す」という言葉が掲げられている。
17世紀の遍路者、真念法師は、巡礼者が空海と出会い霊験を得た出来事を四国偏礼功徳記に記している。
「身を高野の樹下にとどめ、魂を兜率(※)の雲上にあそばしめ、所々の遺跡を検知して、日々の影向をかかずとあり。ご遺跡へは大師日々御影向あるにより、八十八ヶ所の内、いづれにてぞは大師に直にあひ奉るといひなせるは此よりなり…」(※とそつ天とは未来仏・マイトレーヤが住む浄土)
四国最南端の足摺岬に行く途中にある真念庵には次の碑がある。「いざりたち、めくらがみたと、おしがいい、つんぼがきいたと、おしこくのさた」
今年は、空海が誕生して1250年、四国各地で記念行事が行われている。
その一つ「空海展」を見に香川県立ミュージアムへ行った。国宝や重要文化財、空海の行状絵巻や初公開という「木像」、大きな掛け軸に等身大の「空海肖像画」が何種類も展示されてあって、圧巻だった。
「善通寺御影」の空海の目は鋭く、釈迦如来が後方から光を発している。どれが本物の空海に近いのだろうかとながめていた。
調べてゆくと、平安時代に弟子たちが描いたという「高野山御影堂」に安置されている肖像画(秘仏)が大元になっているらしい。大きな両界曼荼羅の部屋で、今の社会に空海大師がいたら、どんな活動をされるだろうかと想い巡らせる…。
空海の誕生地、第75番「善通寺」では、秘仏「瞬目(めひき)大師」の御開帳が行われていた。お坊さんの説明によると、空海が中国へ密教を学びに行く前、善通寺の池に映った自分の姿を描いていた。夕暮れ迫り暗くなった頃、後方の捨身ヶ岳から釈迦如来が出現されて光を照らしてくれたので描くことができたのだ
という。なるほど、30歳くらいの若々しい面持ちである。慈悲と聡明さに満ちている。数珠を繰りながら祈り、仏陀に守護され、五鈷(大日如来の五智)より救いの光を放つ。後日、鎌倉時代の天皇がその空海像を見ていると、一瞬まばたきをしたことから「瞬目大師」として伝承されているとのこと。(秘仏なので写真は出せない)
その日はチベット密教展も行われていて、後期密教の仏像も拝観することができた。日本にはないグヒヤサマージやダーキニーの像。そのあと、四国八十八ヶ所霊場会の事務局へ行って、今年の特別品「修行大師」の絵画をいただいた。
近年、空海密教に親しみやすくするためか、ガチャポンの空海キャラクターや温泉の元(第七番安楽寺)、バッグ等の限定記念グッズ、「まお様(空海の幼名)」のマスコット人形なども販売されている。とてもかわいい。車に飾って同行二人―。
今なお、山を愛し高野山で禅定に入っている空海大師、救済の旅を続けているその意識にふれてみたい。
雲の向こうの青い空にただ見入ることによって、静寂が
この空間を、自分自身の至福の体と考える
体への同化を投げ捨て「私はあらゆるところにいる」と認識する
あらゆるところにいる者は、喜び楽しむ
(ヴィギャン・バイラブ・タントラ/和尚)
今年巡礼すると、色々な記念品が用意されている。
四国八十八ヶ所霊場会のホームページには、記念事業の案内、各霊場の「88大師メッセージ」、空海の生涯を絵にした「88大師カード」一覧が掲載されていて、行かずとも四国遍路巡礼者にはありがたい。
読み進めると、空海密教の更なる修行を深めることができる。(下記にリンクがあるのでぜひ読んでみてください。)
四国八十八ヶ所霊場会
総本山善通寺(動画)
報道(動画)
KuuTube高野山(動画)
Comments