四国にある神仙境
- TOMO
- 2 日前
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更新日:1 日前

…流れる光に乗り、飛ぶ日ざしに鞭打ち、大空をしのぎ、大地を貫き、無限の高みに登り、無限の深みにもぐる。ひろびろとした門を過ぎ、はるかな野に遊ぶ。不可視の世界に逍遥し、大いなる混沌の外にさまよう。雲の上に丹薬を飲み、赤い霧の中に空気を噛む。茫漠の境に徘徊し、微妙の世界に天翔ける。虹の橋を渡り日月星をふむ…。(抱朴子)

あの日の黄山(こうざん) は神仙境であった(72峰の総称:HUANGSHAN)。上海から黄山市へ飛び、山間の雲谷寺に一泊した後、ロープウェイに乗って登って行った。
黄山の山峡に漂う霊妙な空気は、岩峰と緑の松風に透きとおり、新鮮極まりなく、まろやかにして、深い芳香のような活気凛凛たる生命の息吹きを醸し出していた。

仙女峰や石筍峰を眺め、始信峰(1683m)に登り、清涼台を巡り、夢筆生花を見た。獅子観海や飛来石の奇岩、俳雲亭から望む西海大渓谷は峻厳奇抜そのもの。その日は、山間の西海飯店に宿泊した。
山水の奇峰に囲まれてすごす静かな夜―。更に奥にある光明頂(1860m)、天都峰(1810m)、蓮花峰(1864m)には行けなかったけれど、目を閉じると、幽玄の気が駆け巡り、峰から峰へと霊風に乗ってあたり一帯を旅をしているかのような夜であった。

…太元の山には、穏やかな空気が靡き神々の霊が浮遊している。黄金や玉が山のようにごろごろし、山陰には酒の湧く泉がある。若返りしたい人は、その流れを酌めばよい。
…長谷の山は遥か彼方、幽玄の気が漂い、玉の液はハラハラとこぼれる。黄金の池、仙女が住む紫の部屋はこの山の隈にある。

…かの青空のもと、月と日がそれぞれ半分ずつを受け持つ。それがともに昇って一つのものを合成する。
…過去のことは追うな、身を滅ぼすことになる。純白の気は至って微かでひそやか、奥深い関所から立ち昇って三たび曲折する。その中にはたぐいのない金丹がキラキラと輝いているだろう。是を命門に置けば、肉体は永遠に生き続ける。底知れぬ不思議さ、いくら調べてもつきとめられまい。 (抱朴子)

黄山は、1990年ユネスコの世界遺産に登録された。中国安徽(あんき)省にある、圏域1200㎢(30㎞×40㎞)に及ぶ山水画のような山岳地帯で、映画‘アバター’に出て来る山々のモデルになったと言われている。
2020年、中国のコロナパンデミック下で、黄山への入山者が1日2万人を超え、遊歩道は人人人で埋め尽くされたというニュースがあった。

黄山の新鮮な神気に救いを求めての事だったのだろうか。
中国の建国記念日「国慶節」の日にも、黄山は混雑して下山できず、多くの人がトイレの中で一夜を過ごしたという写真も見たことがある。中国大陸の人にとって黄山は憧れの聖地なんだろう。
…藐姑射(ハコヤ)の山に、神人がすんでいる。その肌は氷か雪のように白く、処女のようになよやかである。
五穀を食わず、風を吸い、霧を飲み、雲気に乗り、飛竜に車をひかせ、四方の海の外にまで遊ぶ。
その心は静かで動かないが、しかも万物が傷ついたり病んだりすることをなくし、年どしの五穀を実らせる。(荘子・逍遥遊編)

そのハコヤの山が日本にもある。
古神道家の友清歓真氏(1888~1952年)は著書「神道古義」の中で、四国の手箱山(筒上山1860m)に行けという神示を受けて、登った時のことを記している。
「手箱山はハコヤの神山である…ハコヤの山の神仙郷のことが 古代の神人によって中国に伝えられていた。神聖と幸福と平安との理想郷が ハコヤの山なのであった。」

筒上山は、宮地水位(すいい)氏(1852~1904年)の父・常磐(ときわ)氏が開山した霊山で「神仙界」に通じる秘密の入口があると伝えられている。
常磐氏は、高知市潮江天満宮の神主で、若い頃から武術を修練し、長らく神明に祈願し続け、諸神に通じるようになり、大山祇命(おおやまづみのみこと)の依頼によって、筒上山の断崖に大鎖をかけて開山された。そして、水位氏がその後を継がれた。

高知県の仁淀川町安居渓谷から筒上山へ登る山道がある。途中にある「大滝(おおたび)」は神秘的な霊域で修験道場が建てられてある。
水位氏が川丹先生(当時2024 歳の仙人)と大滝を訪れた時、先生があるノリトを唱えると、滝の水が逆流して青い火炎が現れ、あたり一面に霧が立ち込めたかと思うと美しい宮殿に入り、太平洋の上に出たと言う。

その大滝から筒上山へは約2時間、小さな沢がいくつもある山道を登って行く。
手箱越え地点に出ると、風の通りがすがすがしく感じれる。
そこから眺める筒上山は、神秘的で威厳があって美しい。ここにも修験道場が建てられている(大峰宗覚心寺)。
鳥居をくぐって、断崖の鎖をよじ登って行くと山頂にたどり着く。
山頂には大山祇神社の祠が立っている。

広がる大空、全方位四国山地のパノラマ、なだらかな笹原が静かに風に揺れる…山頂一帯が神域であるかのようだ。
西北には石鎚山、南東には手箱山が見える。神仙界への入口は明かされていないが、水位氏は著書「異境備忘録・幽界記」の中で次のように記している。

▶手箱山は大山祇神の鎮座にて、此宮は目今郷社となれり、因に云う此山にも山人の住みて、夜に入れば山上の南方にて、種々の喋声の聞こゆるなり…。
▶明治 8 年 9 月 11 日 川丹先生に伴われて薩摩に至りて玉水 を求め帰り、手箱山にてバレンヂヨフ(仙薬)を制す。
▶明治 9 年 9 月 28 日、海神龍飛太上仙君に伴はれて、手箱山麓大滝の西に 至る、此処八方に大山を列す、其中に舞曲台と云ふ四角の大石あり、其上 は天仙の女の舞ふ処なり、

此の日其天女の舞を見るに、台石の八方に神仙 等列座して、八丈笛琴鼓なとを以って音楽す、

天女二人其石上に令と云ふ 物を以って座す、先ず東方より、山高うして白雲掩ふ、と謡ふ、次に又西方よ り、松静かにして五龍眠る、と謡ふ、次に又南方より、山間雲起らは五龍出つ、と謡ふ、又北方より、山上雲無けれは白鳳舞ふ、と謡ひ畢りて二人の仙女、 龍上天の曲・鳳如の如し、と云ひて座を起ち、左右に別て舞ひ初る其舞は、 空へ昇り或は又石台に降る、実に妙舞なり。(異境備忘録・幽界記)
水位氏は父からある「神法」を授かり、魂によって手箱山を行き来したり、飛行の法や海上歩行の修行をされ、諸々の幽界に出入して、多くの「奇妙なる事」を授かったと伝えている。その「神法」は後に「宮地神仙道」と呼ばれ、幾つかの書籍が出版されている。

筒上山へは何度か登拝したことがあった。
宮地水位氏が筒上山で精制したという仙薬「バレンヂヨフ」とは…
神仙たちが音楽を奏で、天女たちが舞うという「舞曲台」はどこに…
美しい霊峰に溶け込んだ神仙たちが住まう壮麗な世界……異次元にあるのかもしれないが、未だ関心が尽きない。

今でも瞑想に入ると、黄山の神気を感じることがある。
筒上山の神域も、かつて訪ねたことのある数々の霊峰を巡る風たちも…。
人間は一度体験した「素晴らしいこと」を想い出して、その経験に再び浸ることが出来る。
霊峰や聖域と呼ばれる聖地を探訪すれば、精妙で純粋な神気に触れ、それを吸って浸れば心身共に癒されるであろう。何か新しいインスピレーションを感じるかもしれない。
また、関心ある動画を見ているだけで、あたかもそこに自分がいるような感覚になることは誰しも経験のある事だ。

同じ様なことが日常生活の中で、フト一瞬・風のように吹き、閃くように輝く衝動に駆られる時がある。この不可思議な風をチベットの人たちは親しみを込めて「ルンタ(風の馬)」と呼んでいる。常に存在し自他共にあるという慈愛と活力を運ぶ神秘な風―。
チベット密教にいう。
…カーラチャクラのヨガを修行し、物の見方を新しい方向に与え、実相を知り得れば、この幻影と束縛の世界が、実は本性と自由の世界である事を知るだろう。
ヨギはあらゆる物に空のクリヤーライトを見、現実の本性に目覚める。
ヨギは先ずこの宇宙全体を、本尊の住み給うマンダラとして観想する。
周囲は宮殿に、まみゆる人々は諸尊に、すべてが神性を放ち輝きだす。
次には本尊との一体化を行じ、本尊が具現する力と智恵の源泉に触れ、
やがてその内在の力を自由に呼び起こして自在に動かせるようになる。
本尊に入るならば、強さと力の源泉を現実に吹き込むことが可能である。
望ものすべては自身の中に見い出され、神聖な力の湧出を知るのである…。
(シャンバラへの道/エドイン・バーンバウム)
神意識に達しているヒマラヤの聖者方は「あなたの理想を現実に生きよ」と語る。
そうできれば、人生という旅は―なんと楽しいことであろう。
今、真にこの住んでいるところが、すでに神仙境なのである。
「神霊の力は無尽蔵である。この盾を守ることを学びなさい。
人間の幸福は宇宙の根源にあり、神的エネルギーを理解することにある。(ヒマラヤ聖者)」
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